家を買うということ

こういう意見があります。

住宅ローンというのは、土地の値段が上がるという前提で、利息を払っても、早めに財産化した方がいいという考えで成り立っている制度。土地の値段が3分の1になったら、そんなことをしたら、大損をする。メーカーも政府もそんなことはわかっているが、住宅を建てることで景気が浮揚するからどんどん勧められる。建てて意味があるのは「価値の落ちない住宅」、「土地の値段がガンガン上がるところ」。やすい、ぎりぎりのところで買うとほんとローン地獄。

竹内昌義さんのFacebookより転載

その通りだと思うし、だから「家を買う」ということに対して二の足を踏んでしまうし、建築中のいまでも「どうだったんだろう」「ほんとうによかったんだろうか」と思ったりもします。これからは、スモールハウスが注目されていくのかもしれません。

少し前にアメリカでサブプライムローンが問題になりました。これは、低所得者層でも借りやすいように当初の2〜3年間は低い固定金利が適用され、その後は金利が大幅に上がる仕組みの住宅ローンです。住宅ブームを背景に低所得者層での利用が増えましたが、住宅価格の上昇が止まり金利が上昇したことから、返済不能に陥るケースが相次ぎ、低所得者層の住宅は次々と差し押さえられます。マイケル・ムーアのドキュメンタリー『キャピタリズム』でも、その生々しい現場が撮られていました。結果的にサブプライムローンは世界金融危機を招くきっかけにもなりました。

「金利」って訳がわかりませんよね。ぼくみたいに数字に強くない人は、なにがどうなって、どうやって計算したらいいのか理解ができません。頭がパーンとなってもういいや、となる。
こっちはちゃんと返せるかどうかを心配しているのに、月々の返済がこれだけなんですと言ってカードローンを勧めてくる銀行の態度は、ぼくが銀行というものをいまいち信用しなくなった原因です。竹内さんの言うように、政府や銀行というところは、いかにお金を貸すか、そのためにいかに当面の支払いが少なくて済むかをアピールするようになっている。残価クレジットというのもそうですよね。そうやってお金を借りてでも使ってもらわないと、お金が回らない、景気が上向かないというのが政府の意向なのでしょう。それが一概に悪いのかどうか分かりませんが、政府にしろ銀行にしろ、あとあと何十年も先のことを見据えてそういう金利政策を行っているようには見えないのです。増加する空き家を放ったらかしておいて新築を勧めることで潤うのは一部だけだし、ずっとそうやってその場しのぎでやってきたから日本の住宅景観は美しくない。

だからマイホームを買うことに決めて、何十年ものローンを支払い続けることに決めたことに対して不安はあります。今後、自分の仕事にしろ、収入にしろ、金利にしろ、あるいは銀行という組織自体が存続していくのかどうかさえ、さっぱりわかりません。

だけど、ぼくが家を建てようと思った理由はそこじゃないです。

ぼくはべつに「売るため」に家を建てるわけじゃないですよ。家を資産にしたいわけでもない。いちばんの理由はやっぱり、子供たちの存在です。いちばん決断を迫られるのは、子供の年齢です。

あまりこういう言い方はしたくありませんが、子供の成長は待ったなしです。人生でやり直せないことなんかないと思いますが、子供の成長だけは待ってくれません。子供が子供でいてくれる時間はほんとうにあっというま。だから、子供が子供でいてくれるうちに、いろいろなことをしたい。いっぱい遊んだり、悪ふざけもしたい。庭で土をいじったり、植物に水をやったりもしたい。そうなるとやっぱり現在のアパート住まいでは苦しくなってくる。

なんのためにローンという対価を払うのかといったら、形としては家の資産価値に対してかもしれません。けど、ぼくの中では、ここで子供たちや妻と暮らすということ、家族でその時間と空間を共有する、そのことに対して(家はそのためのハコとして機能するし、この土地はそのための環境になる)だと思っています。

それと、BESSの家は「価値の落ちない住宅」じゃないです。そこに住んでいくことで、暮らしていくことで、「家」を作っていくというのが、BESSのオーナーに共通する考え方です。住宅の価値なんて誰が査定するのか知りませんが、自分の家の価値は自分がいちばんよくわかっているはずだし、そういう「家」を作っていきたいと思います。

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